@「インマヌエル」とは?

 これは聖書の中にある言葉からとられました。その意味は「神が私たちとともにおられる」という意味です。マタイの福音書では、イェス・キリストのこととして紹介されています。
 私たちの教会が、この「インマヌエル」という名前を付けているのには歴史的な背景があります。第二次世界大戦の時、日本社会ではキリスト教が迫害され、多くの指導的な牧師が逮捕されました。その中の一人に蔦田二雄という牧師がいました。戦時下の獄中という極限状態の中でしたが、神への信頼の心には平安と希望が失せることはありませんでした。その経験から、改めて「神がともにいてくださること」に勝る幸いはない、との確信に至りました。そこで、戦後の日本にあって、この本物の幸いを伝えたい、と「インマヌエル」の名前を付けた教会の働きを始めました。私たち長岡教会は、そのようなグループ(教団)に属している教会です。
 「インマヌエル教会」は、現在では日本各地に121の教会があります。また、ケニヤ、フィリピン、台湾、ボリビア、ジャマイカ、ハイチなど海外にも宣教師を派遣しています。また、世界各地の教会とも協力して宣教の働きを進めています。
 

A「長岡」にインマヌエル教会が始められたのは?

 私たちの教会の始まりは、今から約100年前にさかのぼります。長岡の地から日露戦争(1904年)に従軍したS青年が、軍隊で一人の友人に再会しました。以前は、いわゆる「悪友」の一人だったその友人の生活態度がすっかり変わっていました。ビックリしたS青年がそのわけを聞くと、友人は毎日愛読している一冊の本を示し「この本によって私は変えられた」と教えてくれました。それが聖書だったのです。ロシアから帰国したS青年は、さっそく聖書を買い求め自分でも読み始めました。さらに、東京から宣教師を招いて信仰の指導を仰ぎました。その後、自宅を開放して教会の働きを開始し、長岡教会が誕生しました。
 第二次世界大戦中に多くの教会と共に長岡教会も閉鎖させられてしまいましたが、S青年の家族と共に数名のクリスチャンたちは信仰に生き続けました。敗戦と共に再び信仰の自由が与えられ、その方々は教会の再建に立ち上がりました。そして、その信仰の姿勢に賛同し、誕生したばかりのインマヌエル教会に加わったのです。
 戦後すぐは、長岡市内の何ヶ所かを転々としながら教会の働きを続けました。昭和30年頃から昭和45年頃までは、東新町の昭和通り沿い(当時の栃尾鉄道下長岡駅近く)におりました。その後、西新町に会堂を移転し、そして昭和60年に現会堂を建設して教会の働きを継続しています。
 

B「キリスト教会」とは?

 キリスト教会には、インマヌエル教会だけでなく、他にも実に多くの教会(教団・教派)があります。多くの方々には、どのような違いがあるか分からないと思います。何より、どれが本物か、という疑問や心配があると思います。そこで、「キリスト教会」とは、そもそもどういうものか、簡単にご説明したいと思います。
 

(A)「キリスト教会とは、「キリスト」を唯一の救い主として信じている者の集まりです。聖書の表現を借りると、協会は「キリストのからだ」であり、クリスチャン一人ひとり、そして各教団教派は、からだの「各器官」です。それぞれの器官がその特色に応じて働く時、からだ全体が健康になるように、クリスチャン一人ひとりと各教団教派がそれぞれの特色を生かして真実な信仰生活を保つ時、教会全体が健全に保たれます。各クリスチャンや教団や教派は、決して相互に対立する存在ではなく、互いの特色を保ちながら互いに尊重しあい補完しあう存在です。
 もし、自分だけが正しくて、他はみな間違っていると主張する人々がいたとしたら、どんなに熱心に見えても、「キリストのからだ」としての教会の働きを見失っていると言わざるを得ません。
(B)「教会」の正当性を見極める要素として聖書に対する態度も大切です。そもそも「聖書は」、キリスト教会の「正典」であり、「正典」とは、「ものさし」という意味です。「メートル原器」が世界の長さの基準となっているように、聖書はキリスト教信仰の基準です。ですから、教会とクリスチャンは、絶えず聖書を学び、聖書の語りかけに心の耳を傾けながら、その基準に照らして自分の信仰と生活を点検し、聖書の教えに従っているのです。
 ところが、しばしばキリスト教と言いながらも、聖書ではなく、ある特定の人物やその教えが過大に評価され、その人物に従うことが優先されているグループが見られます。そのようなグループは、キリスト教会とは似て非なるものといわざるを得ません。

 以上、私たちの教会と、広くキリスト教会全体に関して簡単にご説明しました。ぜひ、ご参考にしてくださり、皆様方が健全な教会を見出され、聖書の真理を探求し、神の恵みに満たされた心と生涯をご自分のものとされることを願っています。